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2021年11月21日(日)シェアサイクルを利用して、熊谷スポーツ文化公園から、くまぴあまで

しゅっぱつ!すいっと探険隊。今日は、ワイルドナイツサイクルシェアリングを利用して、熊谷市スポーツ文化公園から熊谷スポーツ文化村「くまぴあ」まで探険します。

 

最近、SNSなどでワイルドナイツサイクルシェアリングを利用した報告を見かけるようになりましたし、FMクマガヤのパーソナリティーさんが利用したと話しているのを聴くようになりました。シェアサイクルを交通手段の一つとして、興味津々な私は、早速利用してみることにしました。

 

今回は樽見がひとりで探険しました。まず熊谷駅北口から、国際十王バス葛和田行きに乗り、約15分の赤城神社バス停で下車します。バス停から2分歩くと、ワイルドナイツサイクルステーション&カフェに着きます。

 

ワイルドナイツサイクルシェアリングは、乗りたいときに借りて、行きたい場所で返すことができる自転車のシェアサービス。現在、熊谷市内に、自転車の貸し借りのできるサイクルステーションが10カ所あります。借りた場所で返すことができますし、別の場所で返すこともできます。

 

利用には、スマートフォンとアプリ「ecobike」のダウンロードが必要。まず、アプリで会員登録と利用料支払いのためにクレジットカードの登録が必要です。ひととおり準備ができれば、あとは貸し出しから返却まで、スマートフォンアプリでできます。

 

さて、自転車を借りるときは、アプリの「借りる」ボタンをタップして、自転車のサドルの下にあるQRコードをカメラで読み込みます。すると自動で解錠されます。

 

まず、ぐるっと熊谷スポーツ文化公園を散策したあと、ラグビー場のある西側の公園敷地からほど近い、八木原牧場に寄ってみました。駐輪場ではしっかりと自転車を施錠します。ただし、持ち歩くような鍵は付いていません。

 

八木牧とも呼ばれている八木原牧場。園内では、やぎさんとうさぎちゃんたちが出迎えてくれました。園内のパークハウス(売店)では、ソフトクリームやクッキーなどが購入できます。私も美味しいソフトクリームを楽しみました。

 

曲ⅰ マイケル・ジャクソン「Love Never Felt So Good」

 

さて、探険を進めます。自転車はアプリの「解錠」ボタンをタップすることで自動解錠されます。次にどこに向かおうかと思いましたが、八木牧のとなりに「晴湖の道」があったので、すぐに自転車を駐めました。

 

奥原晴湖という幕末から明治にかけて活躍した女流画家が、晩年をここ熊谷市上川上地区で過ごしたといいます。

晴湖は、1837年(天保8年)いまの茨城県古河市に生まれます。若いときから絵画や書を学び、29歳の時に上京。画家としての活躍のほか、政界の名士や文学界とも交流があり、華々しい人生を送っていたようです。

1891年(明治24年)には今の熊谷市上川上に移り住み、創作活動を続けます。作風は、これを境に、豪快な画風から、精緻な画風に変わっていったそうです。

そして、1913年(大正2年)77歳で生涯を閉じます。上之地区の龍淵寺にお墓があるそうです。

 

熊谷では、荻野吟子との交流もあったそうです。晴湖が使っていた画室の跡地に通じる道は、のちに晴湖の道として再現され、「奥原晴湖終焉の地」の碑が建てられています。

今年5月、茨城県古河市を探険したときに、古河出身の奥原晴湖が上川上地区に移り住んでいたことはわかっていましたが、古河の博物館がコロナ対策のため休館していたので、紹介できずにいました。今回、ようやく晴湖を番組で紹介できうれしく思います。

 

自転車に再び乗り、私は、国道17号熊谷バイパスを横断して南下しました。そして成田小学校前交差点から、箱田地区へ向かうことにしました。富士見中学校の北側を通り抜け、肥塚伊奈利神社でひとやすみ。その先、第二北大通りを渡ると沿道に和菓子屋さんがありました。ばらや。

 

ばらやさんでは、おまんじゅうを頂きました。見た目は茶色くて、温泉場でよく見かけるものです。「ばらや」と縦書きの焼き印が入っていました。そして、ひとくちパクつくと、なんと中には白あんが入っているではありませんか。茶色いおまんじゅうには、小豆色のあんが入っていると思っていたのでびっくりしました。大変美味しいおまんじゅうで、その上ビジュアルでも楽しませて頂きました。

お店の方にお話を伺うと、お店の一番人気は豆大福なんだそうで。その日は売り切れていましたので、次の機会は豆大福を拝みたいと思います。

 

曲ⅱ ショコラ「口笛で恋をしよう」

 

箱田地区からは、石原小学校と大原中学校の間の道路を進みます。程なくして国道17号線の石原一丁目歩道橋交差点に出ました。ここは、秩父街道が分岐していますし、「かめの道」が交差しています。私は「かめの道」を北上することにしました。

「かめの道」は、1983年(昭和58年)に廃止された東武熊谷線の廃線跡です。かつて熊谷と妻沼の間をディーゼルカーが走っていました。

今では、緑豊かな遊歩道となっていて、自転車で走るのも気持ちが良いです。途中、熊谷農業高校の農場をかすめ、牛さんにあいさつをしながら自転車は進んでいきます。

 

第二北大通りから北は、クルマが走れるようになっています。私は廃線敷の道路を逸れ、浄水場の脇を通り、国道407号線を横断し、くまぴあへ向かいました。途中に、また伊奈利神社がありました。伊奈利神社の全国ネットワークでもあるのでしょうか。

 

くまぴあには、ワイルドナイツサイクルシェアリングのサイクルステーションがあり、自転車の貸し借りが可能です。サイクルステーションに自転車を駐め、施錠をし、アプリの「返す」ボタンをタップ。これで返却が完了します。課金もここまでです。2時間あまりの探険。しばらくぶりにゆっくり自転車を楽しみました。

 

このあと、くまぴあのレストランで腹ごしらえ。少しくまぴあを散策したあと、最寄りのテレビ熊谷バス停から朝日バスに乗り、熊谷駅まで戻ってきました。

 

ワイルドナイツサイクルシェアリングの利用料金は、15分ごとに88円(税込)。自転車の貸し借りができるサイクルステーションは、現在熊谷市内に10カ所あります。利用時間は24時間ですが、サイクルステーションの中には夜間閉鎖されているところがあるので、注意が必要です。利用方法やサイクルステーションの場所は、アプリから確認できます。また、ワイルドナイツサイクルステーションと熊谷駅店には係員さんがいるので、利用方法を親切に教えて頂くことができます。

 

今回の探険は、熊谷駅から路線バスに乗り、シェアサイクルに乗り継ぎ、くまぴあ最寄りのバス停から路線バスで熊谷駅まで戻ってきました。

 

自分の自転車ですと、出かけたら自分の自転車に乗って自宅に帰ってくることになります。しかし、シェアサイクルでは、出かけた先で自転車を手放すことができる。つまり片道の利用ができるのです。そのため、電車やバスと乗り継いでルートを組み立てて、便利に使うことができます。私は、片道利用ができることがシェアサイクルの魅力的な特徴だと思っています。

 

もちろん、自転車を楽しんだあと、借りた場所に帰ってくることもできるので、観光や買い物をはじめ様々に利用できそうですね。皆さんもご利用になってみてはいかがでしょうか。

 

曲ⅲ デイビット・ベノア「Every Step Of The Way」

 

*写真の貼り付けがうまくいかず、文字ばかりになりすみません。

 

(樽見 潔)

 

今日おかけした曲

・マイケル・ジャクソン「Love Never Felt So Good」

・ショコラ「口笛で恋をしよう」

・デビッド・ベノア「Every Step Of The Way」

 

2021年7月18日(日)熊谷市スポーツ文化村くまぴあ・旧大幡駅周辺

しゅっぱつ!すいっと探険隊。今日は、熊谷市スポーツ文化村くまぴあ・旧東武熊谷線大幡駅周辺を探険します。

 

今回はすいっとのメンバー2人で探険しました。熊谷駅北口から、朝日バスのバイパス経由妻沼行きに乗ります。10分ほどで、テレビ熊谷前バス停に到着。さらに、少し歩くと、「熊谷市スポーツ・文化村くまぴあ」に着きました。

 

くまぴあは、スポーツや生涯学習の拠点。廃校になった旧熊谷市立女子高校の施設を活用しています。くまぴあの広報担当の方によれば、くまぴあは市の施設ですが民間企業が指定管理者となって施設の運営がなされているとのことでした。

 

グラウンドではサッカーの練習が行われていました。音楽室をはじめ元の教室は、いまでは文化活動に使われています。そして、合宿所施設は、いまではレストランと宿泊施設になっています。

 

私は、所属する合唱団のグループ稽古として、以前こちらで合宿を行ったことがあります。食事も美味しかったですね。取材をした日には、すでにランチタイムを過ぎていましたが、その日の日替わりランチメニューは「ローストビーフ」だったそうです。食べてみたいですよね?

 

さて、遅い食事を取ろうと、私たちは国道407号線沿いの蒙古タンメン中本さんへ入りました。人気のお店が熊谷に来たからには、入るしかないでしょう、ということで辛くて美味しいと評判のタンメンを頂くことにしました。私は、蒙古タンメンを注文。食べ始めると、これまでの食事でかいたことのないくらい汗をかきました。

 

実を言うと、私は辛いのは苦手。それでも、麺を口に運ぶたびに、「あー辛い、でも美味しい。あー辛い、でも美味しい」と繰り返しました。リフレインが叫ぶのです。ようやく、上に乗っている麻婆豆腐がとても辛いのだとわかり、避けて食べるようにしました。しかし、終盤、美味しいスープを飲み干すことは断念せざるを得ませんでした。なぜなら、スープに浮かぶ赤い奴らが、それを阻んだからです。辛かったのです。

 

食べ終わって、店内の張り紙に目をやると、そこには丁寧に「初めての方は、味噌タンメンをお勧めします」と書かれているではありませんか。つまり、蒙古タンメンの麻婆豆腐が載ってないバージョンです。次回は、味噌タンメンを味わおうと心に決めて店をあとにしました。

 

大幡小学校あたりまで歩くと、そこには東武熊谷線の廃線敷が現れます。そしてそこは旧大幡駅があった場所でもあります。昭和58年(1983年)、熊谷と妻沼を結んでいた東武熊谷線は廃止となりました。太田へ延伸する計画は未完のままに。いまでは廃線敷が道路になっています。現在、第2北大通りから大幡中学校付近までクルマで走れるようになっています。熊谷市道路課によると、来春には奈良地区まで開通するとのことです。

 

もはや、大幡駅の痕跡はありません。廃止前の大幡駅は無人駅でした。そして、列車の行き違いができない、1面のホームがあるだけ。それでも、駅前でお店を営んでいた名物おばあちゃんが、切符の委託販売所となり、プラットホームの掃き掃除をするなど、尽力されていたようです。テレビの取材もあったとか。

 

くまぴあの運営は、指定管理者制度が導入され民間企業が担っていることを書きましたが、鉄道の運営にも公民連携のような制度はあります。上下分離方式と言って、鉄道の整備(公的セクター)と、鉄道の営業(民間企業)とに分担する方法です。そのような仕組みでいつの日か、熊谷と太田が結ばれる日を夢見ているのですが。

 

大幡団地前には、素敵なカフェがあります。HIKI CAFÉ。

美味しい珈琲を楽しみながら、しばし落ち着いた時間を手に入れて。なんて優雅なのか。

雨宿りをし、身体を休めることができました。

 

時刻は夕方にさしかかりましたが、私たちはもうしばらく歩くことにしました。住宅地を歩いて行くと、広い墓地をかすめ、その先にはメモリアル彩雲があります。道の両側に建物があり、一方では告別式などを執り行う建物、もう一方は火葬場となっています。利用したことのある人ならわかると思いますが、道路の下には地下道があり、2つの建物を行き来できるようになっています。

 

そして近くには、報恩寺という大きなお寺があり、この付近一体は厳かな雰囲気がありました。

 

県道太田熊谷線に出ると、沿道にはコンビニなどの商業施設があるうえ交通量が多く、一転して賑やかな空気に包まれました。市街地へ向かって歩いて行くと、興味深い自動販売機に出会いました。妻沼の菓子店「さわた」さんが設置した、ちーず大福の自動販売機です。これは買いでしょうということで、コインを投入すると、ちーず大福が2個入ったパックが出てきました。大変冷たくなっていて、持ち帰った頃に食べやすく解凍されるようでした。

 

探険はここで切り上げ、西箱田バス停から朝日バスに乗って熊谷駅へ向かいました。

 

熊谷駅では、もちろんちーず大福を頬張りました。

*写真の貼り付けが上手くいかず、文字ばかりになりすみません。

 

(樽見 潔)

 

今日おかけした曲

・きゃりーぱみゅぱみゅ「PONPONPON」

・矢野顕子「David」

・ギルバート・オサリバン「Alone Again - Naturally」

 

2021年6月20日(日)立正大学熊谷キャンパス・滑川町福田方面

しゅっぱつ!すいっと探険隊。今日は、立正大学・滑川町福田方面を探険します。

 

今回は大学生のメンバーと2人で探険しました。熊谷駅南口から、国際十王バス森林公園駅行きに乗ります。鎌倉陸橋の南にある交差点で左折し、荒川大橋を渡ります。村岡三叉路から南下し、江南台地を上っていくと立正大学熊谷キャンパスがあります。

 

 

守衛さんにお願いして、キャンパスを歩いてみました。とても広くて、緑豊かなキャンパスです。

立正大学熊谷キャンパスのことが私は、取材から帰ったあと、立正大学広報課さんから熊谷キャンパスについて詳しく教えて頂きました。

 

立正大学の本部は大崎キャンパス(東京都品川区)にあります。

熊谷キャンパスは、熊谷市万吉にあり、昭和42年(1967年)に発足しました。広さは約35万平方メートルで東京ドーム8個分です。

 

大崎キャンパスが手狭になり、郊外にキャンパスの設置検討を始め、大宮市(当時)や八王子市なども候補になっていたそうですが、誘致活動が熱心であったこと、東京との交通が便利なこと、そして熊谷が地域の中核都市になっていくだろうとの見込みから、熊谷市に新キャンパスを開くことになったそうです。

 

熊谷キャンパスの設計は、槇文彦さんの設計事務所が担当しています。槇文彦さんは、のちに幕張メッセなどを設計した建築家です。学習・研究の機能だけでなく、学生が自由に集えるような空間、そして全体が小さな都市として機能することなどを目指したそうです。優れた建築のため、昭和43年には毎日芸術賞・建築賞を受賞しています。

 

昭和59年(1984年)には、14階建て、ツインタワーの学生寮が完成。遠くからでも見えますよね。

 

そして、熊谷キャンパスの再開発事業が平成19年(2007年)から始まります。アカデミックキューブなど、先進的な建物が建てられました。設計は、石本建築事務所。こちらでは、2011年度グッドデザイン賞を受賞しています。

 

現在、熊谷キャンパスには、社会福祉学部・地球環境科学部・データサイエンス学部が設置されているとのことです。

 

曲のあとでは、立正大学のように東京郊外に移転した大学について、深掘りしたいと思います。

 

曲ⅰ ガロ「学生街の喫茶店」

 

 戦後、日本の高度成長が進むと、東京など大都市には、地方から就労・就学のために人々が集まるようになり、都市の過密が問題となってきました。そこで、昭和34年(1959年)工業等制限法が制定されました。正式名称を「首都圏の既成市街地における工業等の制限に関する法律」といいます。(近畿圏にも同様の法律が、5年後に制定されます。

 

 工業等制限法は、「首都圏及び近畿圏の工業(場)等制限区域について、工場及び大学等の新設及び増設を制限し、もって既成市街地及び既成都市区域への産業及び人口の過度の集中を防止し、都市環境の整備及び改善を図ることを目的」としていました。

 

 制限区域は、東京特別区及び三鷹市の大部分、武蔵野市の全部、横浜市及び川崎市の約半分並びに川口市の一部(約959㎢)。

 

こちらの法律が施行され、東京の大学は、大学を大きくするために、郊外へ新キャンパスを求めていきました。

 

都心の大学がまるごと郊外へ移転したならまだしも、都心のキャンパスと郊外のキャンパスを持つに至った大学では、学生が不便を被ることもありました。大学4年間の前半を郊外のキャンパス、後半を都心のキャンパスで過ごすことにした大学は多いと思われます。すると、大学生活の途中で住所を変えざるを得ない学生も出てくることになります。

 

さて、工業等制限法は、平成14年(2002年)に廃止されます。バブル崩壊後、東京の活力が低下しつつあるころでした。すると、一部の大学は都心回帰を始めます。つまり、都心のキャンパスを再開発し、校舎を高層化して学生の収容数を増やし、郊外のキャンパスを閉鎖する大学が現れるようになりました。中には、都心に移転するものの郊外のキャンパスは閉鎖せず、そこに新しい学部を開設する大学もあります。

 

立正大学は、法学部が熊谷キャンパスから品川キャンパスに移転したのち、2021年(令和3年)熊谷キャンパスに新たにデータサイエンス学部を開設しています。

 

曲ⅱ 一十三十一「Labyrinth~風の街で~」

 

 

さて、探険は続きます。立正大学を出た私たちは、徒歩で、文珠寺へ向かいました。日本三体文殊菩薩のひとつ。「野原の文殊様」と、受験生に親しまれています。合格祈願のための絵馬がたくさん掲げられていました。とても落ち着く空間でした。かわいらしいあじさいにも出会えましたよ。

 

文殊様から、再び森林公園駅行きのバスに乗りました。森林公園は、コロナ禍のため休園

中とのこと。私たちは、観音前バス停で下車しました。ここは、滑川町福田。あたりを少し歩くと「谷津の里」という看板に出会いました。何だろうと思い、山を登っていくと、「ふれあい農園谷津の里」がありました。

ここは、都市住民のための貸し農園なんだそうで、駐車場には熊谷以外のナンバーを掲げたクルマが多く停まっていました。農機具を貸してもらえたり、シャワールームが使えたりと便利な貸し農園でした。

 

 

谷津の里の入り口の前には、「ヒルトップファーム」というレストランがあったので、私たちは入ってみました。森に囲まれたレストランでは、鳥のさえずりを聞きながら食事ができます。私は、モッツァレラトマトスパゲティのセットを頂きました。一緒に探険した大学生と、いろいろ語り合いました。有意義な時間です。

 

そして、となりには、同じくヒルトップファームの雑貨店がありました。かわいい植物やアンティーク、衣類などもありましたか。きっと女性は大好きだろうと思います。(ボキャブラリーが少なくて説明がつきません。すみません。)

 

 

今日おかけした

・ガロ「学生街の喫茶店」

・一十三十一「Labyrinth~風の街で~」

・サーカス「風のメルヘン」

2021年5月16日(日)JR宇都宮線古河駅

しゅっぱつ!すいっと探険隊。今日は、JR宇都宮線古河駅周辺を探険します。

 

今回はすいっとのメンバー2人で探険しました。まず、熊谷からJR高崎線上り電車で大宮まで乗り、JR宇都宮線下り電車に乗り換えます。熊谷から古河までは鉄道がないので、大宮を経由するV字型の移動になります。

栗橋を過ぎ、利根川に鉄橋を渡りしばらくすると、遠くにマンションが見えてきます。そして、電車は高架橋を駆け上がり、古河駅のホームへ滑り込みます。

 

古河駅に到着した私たちは、まず古河歴史博物館を目指しました。しかし、取材をした日は休館でした。それは、茨城県が独自に古河市を「感染拡大市町村」に指定したため、ゴールデンウィークを含めた期間、古河市内の公共施設が休館になったのです。

 

博物館の近くに、気になるお店がありました。店頭には「小麦まんじゅう」の立て看板が。しかし、おまんじゅう屋さんではなく、そこはお茶屋さんでした。内田茶店(うちだちゃてん)。

私は、そのおまんじゅうを買い求めましたが、注文すると奥の調理場から温かいおまんじゅうを持ってきて下さいました。お店でおまんじゅうを蒸かしている、なんとも本格的です。

店内で食べると伝えると、ご主人がお茶を煎れて下さいました。お茶屋さんのお茶、美味しい。

そして、ご主人に疑問をぶつけてみました。「なぜお茶屋さんでおまんじゅうを売っているのですか?」するとご主人はこう言います。「おまんじゅうを食べるとき、お茶が欲しくなりませんか?」納得のお答えでした。

 

 

曲ⅰ 小沢健二「強い気持ち・強い愛」

 

古河周辺はお茶どころなんだそうで、猿島茶が生産されています。街なかにもお茶屋さんが目立ちました。

さて、古河市は茨城県の県西地域の最大都市です。人口はおよそ14万人。JR宇都宮線で東京から1時間程度。東京からの距離では、熊谷と同じくらいになります。

 

さて、内田茶店のご主人の勧めで、次に私たちは古河公方公園(こがくぼうこうえん)へ向かいました。かつて鎌倉公方が古河に移り住んだ時に御所を構えたところだそう。園内は大変広く、森や沼があります。春には花桃が咲き誇る桃林もあります。家族連れなどで賑わっていました。

 

ここでお昼時になり、飲食店を探すと、公方公園の近くに楽しそうなお店がありました。お肉とスイーツと珈琲のお店ASOVIVA(あそびば)。

赤い看板が気になるお店です。私は、ASOVIVA特製すた丼を頂きました。すたみな丼は、どんぶりにお肉が乗って、その上に生卵か温泉卵が乗っているものです。しかし、ASOVIVAさんのすた丼には、ふわふわのメレンゲが載っていて、なんともかわいらしい。そのメレンゲをかき分けると、卵の黄身が現れます。雲の切れ間からお日様が顔をのぞかせる。メルヘンチックですが、やはりそこはすた丼でしてガツンとくる美味しさでした。

店内には、AKIRA(大友克洋さんのSF漫画)のイラストパネルが壁に掲げられていました。またカウンターにはファミコンカセットが山積みになっています。プレイもできるそう。はじめはカセットは少なかったそうですが、お客さんたちが自宅にあるカセットを持ってくるようになり、ここまで増えたのだとか。

 

 

曲ⅱ さかいゆう「ストーリー」

 

ASOVIVAを出た私たちは、古河市の市内循環バス「ぐるりん号」に乗り古河駅へと戻りました。運賃は100円。小回りの効くバスで、街なかをくまなく巡っていきます。

古河駅の西口に着いたあと、街なかを歩いていると、カフェが目立つことに気がつきました。

 

その中で特に気になったのは、Cafe5040 Ocha-Nova(おちゃのば)。

古民家カフェになるのでしょうか。築年数の経過した建物を改装しているカフェ。装飾が施された店内は落ち着いた雰囲気。照明をはじめ、フォトフレーム、飾り棚など、数々のオブジェは調和のある風景を作っています。それらは主張は控えめで、自然体な印象。いつまでも過ごしていたくなります。私は、豆乳のカフェラテを頂きました。無調整の豆乳が美味しかったです。

 

 

 

古河は日光街道の宿場町でした。また古河城の城下町でもありました。

Ocha-Novaを出たあと、日光街道へ。北へ進むと、道標があります。道標には「左日光道」「右筑波山」とあります。昔から、古河はジャンクションの街でした。そういうジャンクションに街が形成されやすいものです。今でも、古河は国道4号線から国道125号線が分かれる街です。

 

私たちは、道標から筑波山方面へ進みました。すると、蔵造りの建物が集まっているエリアがありました。そのうち、改装してイタリアンレストランになっている蔵があり、素敵な佇まいでした。このように古い建物を今でも利用しているのは素晴らしいと思います。マンションのような新しい建物と、蔵のような古い建物が混在し、両方とも生かされているのは良いですね。

 

 

さて、旅の終盤、古河駅の東口へ戻ってきた私たちは、駅前のファミリーマートに立ち寄りました。そこは1階も2階もファミリーマート。1回は商品が陳列してあるいつもながらのファミリーマートですが、2階はなんと、フロア全体がイートインスペースでした。20人くらいは座れる広さだったでしょうか。学校帰りの学生さんたちなど、寄りたいでしょうね。

 

 

古河の街について、加えてお話しすると、市街地ではJR宇都宮線は高架橋を走るので、市街地には踏切がありません。これを連続立体交差と言いますが、東西の一体性が損なわれないメリットがあります。高架化されてもうすぐ40年になるそうですので、当時では先進的な取り組みだったと思います。

 

最後になりますが、すいっとプロジェクトで提案している鉄道新線「成田レインボーライン」。熊谷から円弧状のルートで成田市へ至るアイデアですが、古河市内で東北新幹線とリンクすることをも含んでいます。是非、お見知りおきを。

 

 

 

今日おかけした曲

・小沢健二「強い気持ち・強い愛」

・さかいゆう「ストーリー」

・今井美樹「瞳がほほえむから」

2021年4月18日(日)千葉県成田市

しゅっぱつ!すいっと探険隊。今日は、千葉県成田市を探険します。

皆さんにとって、成田はどんなイメージですか?

 

曲ⅰ 山下達郎「RIDE ON TIME」

 

この曲は、木村拓哉さんがパイロット役で主演したテレビドラマ「グッドラック」の主題歌でした。2003年のドラマだったのですね。ということで、成田で連想するのは、やはり成田空港。しかし、成田山新勝寺の門前町でもあります。

 

さて、今回すいっと探険隊は熊谷から上野東京ラインで東京まで乗り、総武線快速電車に乗り換えJR成田駅へ到着。駅前の観光案内所に立ち寄ったあと、バスに乗り成田市立図書館へ向かいました。その土地の情報を得るには観光案内所が適していますが、その土地の図書館で調べる方法もあります。各地の図書館には参考資料室(呼び方は様々ですが)があって、郷土資料などが揃っていて地域について調べるときにとても役立ちます。私は成田空港の歴史をざっくり調べたかったのです。図書館では司書さんに事情を話すと、何冊か資料を提示して下さり、とても親切に対応して頂きました。

 

 

成田市立図書館は、成田ニュータウンにあります。ニュータウンがあるのは、熊谷と同じくらい東京から離れている成田ですから、想像に難くありません。大都市に通勤・通学する人たちが多くいてベッドタウンになっているのでしょう。しかし、成田ニュータウンには成田ならではの特徴がありました。それは、成田ニュータウンには成田空港に関係している人たちもまた、多く住んでいるということです。それを聴いたときには、とても納得が行きました。

 

 

ニュータウンと呼ばれる場所に来ると、いつも気づくことがあります。それは、ニュータウンには商店街らしきものが見当たらないのです。成田ニュータウンは大きくていくつかの地区に分かれていますが、図書館のある地区の中心部にはボンベルタ百貨店があり複合施設もありました。複合施設にはスポーツジムや自治体の出先機関などが入居していました。

 

徐々にお店が増え、立ち並んでいき形成される商店街と異なり、ニュータウンは大げさに言えばある日突然街ができあがっていくことになります。都市計画により街の中心部が商業地域に用途指定されるとショッピングセンターがやってきます。熊谷市のお隣、深谷市に上柴ニュータウンがありますが、上柴地区にも商店街らしきものは見当たらず、街の中心部には大型商業施設があります。

 

曲ⅱ Lamp「過ぎる春の」

 

さて、路線バスでJR成田駅に戻り、西口から東口へ移動します。

ここからは成田山新勝寺を目指しました。成田山新勝寺は真言宗智山派の大本山。「成田屋」の屋号で知られる歌舞伎役者市川團十郎との縁も深いお寺です。新勝寺へ続く参道は、JR・京成の両方の成田駅からおよそ800メートル。以前訪れたときよりも人通りは少ないように感じました。参道は単調ではなく、歩くのが楽しい通りです。一度坂を下り、後半は坂を上がっていきます。カーブも多く、景色の移り変わりを楽しめます。通り沿いのお店には、うなぎ屋さんなどたくさんのお店がありました。いいにおいが漂ってきます。食べ歩きも楽しそうです。成田ゆめ牧場の売店もあります。そして、公衆トイレが短い間隔でおかれ、観光案内所の設置もあり、観光客に優しい通りでした。

 

 

成田山新勝寺の入り口では、大きな総門が出迎えてくれます。総門をくぐると石段を経て、本堂にたどり着けます。石段を登るのが難しい方には、エレベーターを選べます。本堂でお参りを済ませたあと、おみくじを引きました。新勝寺のおみくじは持ち帰るものらしく、おみくじを結びつける場所はありませんでした。願いが叶ったときにお礼参りに来ると良さそうです。

 

新勝寺の近くに素敵な純喫茶がありましたので、少し休んでいくことにしました。喫茶チルチルさん。店内はブラウンの色調で、子供の頃に憧れた喫茶店の情景そのものでした。ホットコーヒーを頂きました。まだホットコーヒーを楽しめる季節だったのです。

 

駅へ戻る道中、気になる土蔵造りのお店がありました。そこは薬局でした。一粒丸三橋薬局さん(いちりゅうがん・みつはしやっきょく)。薬局の方にお話を伺ったところ、江戸時代から一粒丸という腹ぐすりを製造販売しているとのこと。古くは、成田山詣でをしている旅人が道中の体調不良に備え一粒丸を購入していったそうです。このような歴史のあるお薬が成田にあったとは知りませんでした。いまでも途絶えることなく作られているのはうれしいですね。

 

曲ⅲ 中森明菜「北ウイング」

 

成田の市街地、京成成田駅から京成電車に乗り成田空港へ。まずは第1ターミナルビルをめざし、終点の成田空港駅で下車。第一印象は、人が少ない、でした。コロナ禍ですからね。第1ターミナルでは、屋上の展望デッキで離発着する飛行機を眺めました。飛行機が離陸する瞬間は、いつも感動します。展望デッキには、家族連れや制服姿の学生がいて、皆さんご近所の方々でしょうか、楽しんでいるようでした。

 

 

空港内には各ターミナルを時計回りに巡回する無料のバスが走っています。それに乗り、第2ターミナルと第3ターミナルも回りました。

第2ターミナルでも開いているカウンターは限られているし人は少なかったです。一方で、第3ターミナルは割と賑わいがあったように記憶しています。第3ターミナルは最も新しいターミナルでLCCの利用者のために設けられました。

 

 

成田空港は、そもそも航空需要が高まり羽田空港の他に空港が必要となり計画されました。国は、その新しい空港の建設地として、国有地が多く民有地の買収が少なくてすむ成田に決定。完成を急いだ国は土地の収用を進めますが、反発や抵抗は激しいものがありました。時には力の衝突により、負傷者が出たり死者が出たりもしたそうです。計画ははかどりませんでしたが、1978年(昭和53年)滑走路1本のみで成田空港は開港します。当時の正式名称は、新東京国際空港。その後も膠着状態は続きますが、シンポジウムや円卓会議の開催など、徐々に国と地元の対話が持たれるようになりました。

 

成田空港は、いまでも完成していません。計画では滑走路が3本になる予定です。空港整備のような大きな公共政策を打つときには、多数のために少数が我慢や犠牲を強いられることが出てきます。当然、十分な補償が必要ですが、あらかじめ事業について十分に説明を尽くし、対話を持ち、全体で合意形成を行うことが求められます。今後、成田空港問題を解決するための対話がどのように進んでいくのか、注目しています。

 

さて、すいっとプロジェクトでは、鉄道新線構想「成田レインボーライン」を提案しています。東京一極集中の是正に役立つよう環状鉄道として機能するように、また成田空港をたくさんの人たちで使えるよう空港連絡鉄道として機能するように構想しています。そして、東北・上越新幹線と交差する地点から、新幹線電車が成田空港まで乗り入れができるように線路を作ることも提案に含んでいます。東日本全体で成田空港を生かしていくアイデア、皆さんいかがでしょうか。

 

今回、成田の探険で、成田の方と名刺交換をさせて頂いたりもしました。今後、成田の皆さんと交流を進め、成田レインボーラインについて連携できればうれしい限りです。

 

帰路、京成スカイライナーに乗りました。最高速度、時速160km。速かったですね。

 

 

今日おかけした曲

・山下達郎「RIDE ON TIME」

・Lamp「過ぎる春の」

・中森明菜「北ウイング」

・アメリカ横断ウルトラクイズ オリジナルサウンドトラック「ULTRA QUIZ Main Theme」

 

2021年3月21日(日)東武スカイツリーライン堀切駅

 

しゅっぱつ!すいっと探険隊。今日は、東京都足立区の東武スカイツリーライン(伊勢崎線)堀切駅周辺を探険します。

熊谷から上野東京ラインで上野まで乗り、常磐線で北千住へ。そこから東武スカイツリーラインに乗り換え堀切駅下車。駅を出て階段を上ると、荒川の河川敷と広い空が広がっていました。

 

 

曲ⅰ 海援隊「新しい人へ」

 

そうです、堀切駅周辺は、あのテレビドラマ「3年B組金八先生」のロケ地として知られています。ドラマの中でも、この荒川の風景はしばしば映し出されました。金八先生や生徒さんたちが土手を歩く風景が思い出されます。探険の日には、野球の試合をしていたり、ジョギングやサイクリングをしている人たちをたくさん見かけました。

 

まずおかけした、海援隊「新しい人へ」は、金八先生第5シリーズ(1999年~2000年)の主題歌でした。第5シリーズは、風間俊介さん演じる兼末健次郎が中心的な生徒でした。複雑な家庭環境に翻弄され、学校では残酷に先生や生徒を追い詰めて行きます。最終的には金八先生に救われていくのですが、風間さんの演技には驚かされました。

 

跨線橋を渡り、堀切駅の西側へ移動します。そこにはドラマで桜中学として使われた足立区立第二中学校の校舎があります。統廃合によりすでに閉校となっていて、いまでは東京未来大学になっていました。

 

 

曲ⅱ 中島みゆき「世情」

 

金八先生シリーズの中で私が強く印象に残っているのは、第2シリーズの「腐ったミカン」。加藤勝役の直江喜一さん、松浦悟役の沖田浩之さん、迫田八重子役の川上麻衣子さんらが出演していた第2シリーズ。加藤勝は転校生で、前の学校では不良だったので腐ったミカンとして排除される。腐ったミカンがあると、他のミカンをも腐らせるから、と。桜中学では金八先生から人として大切にされ心を開いていく。卒業式直前、前の中学に乗り込み、自らを酷く扱った教師たちを放送室に監禁し謝罪を求めるも、警察に逮捕され、護送車で連れて行かれる。そのシーンで流れていたのが、中島みゆきの「世情」でした。

探険の時にも、東京未来大学の前で「ここから護送車が出発したのだな」とそのシーンを思い出しました。

 

東京未来大学をあとにして、探険を進めます。住宅が密集する地区を進んでいくと、柳原千草園がありました。公園というより庭園といったところで、梅が咲いていましたし水仙もきれいでした。元々は工場があったそうで、工場跡地を足立区が区民の憩いの場に整備しました。住宅密集地のオアシスでした。防災上、このような空間は有意義ですね。

 

 

 

また、このあたりでは銭湯をよく見かけました。まだ残っているのですね。それぞれの住居に必ずしもお風呂が備え付けられていなかった時代に比べ、銭湯の経営は苦しい時代ではないかと思いましたが、今では癒やしの空間、あるいはレジャー施設としての意味が大きいのかもしれません。

 

住宅密集地を抜け、大通りに出るとそこには高層マンションが建っていたりもします。マンションが上に伸びると必然的にスリムになるもので、マンションの敷地にはキッチンカーが出張していました。コロナ禍ですので、お弁当で中食(なかしょく)できるのは便利ですね。

 

さて、私のお昼は、「稲荷ずし・松むら」さんで。稲荷ずしとかんぴょうの海苔巻きを販売しています。テイクアウトのお客さんがチラホラやってきますが、店内でも食べられるということで、私は店内でお寿司を頂きました。稲荷ずしだけでも、海苔巻きだけでもお皿に盛り付けてもらえますが、私は「まじり」にして、稲荷ずしとかんぴょう巻きの両方を盛り付けて頂きました。お店の方はとても気さくに話をして下さって、桜中学の撮影では平日でも屋外でのロケは行われていたと教えてくれました。頂いた稲荷ずしの美味しさはさることながら、私は海苔巻きに包まれているかんぴょうの美味しさが印象に残っています。かんぴょう巻きのかんぴょうは甘く煮付けてあって、食べると口の中に甘さが広がっていくものですが。松むらさんのかんぴょうは、だらだら甘さが広がりません。けじめのある甘さでとても美味しかったのです。

 

 

 

曲ⅲ 城之内ミサ「気まぐれ白書」

 

こちらの曲は、TBSテレビのドラマ「スタンドバイミー気まぐれ白書」(1987年)のテーマソングでした。小川範子さん演じる中学生の上田伸江が主人公。伸江は両親の不仲により、国内ホームステイができる「チャイルドハウス」にやってきます。そこでは志穂美悦子さん演じる倉田利子や、伊東四朗演じる音次などとぶつかり合いながらすさんだ心を開いていきます。小川範子さんは私と同性代の女優さんですが、志穂美悦子さんとの乱闘シーンは秀逸ですごい女優さんだなと思ったものです。シンガーソングライターとしてそのドラマの主題歌を歌っていた城之内ミサさんは、その後「3年B組金八先生」の劇伴を担当することになります。

 

金八先生でおなじみの、あの荒川の風景。実はあの荒川は人工放水路だったりします。もともと荒川は隅田川の経路で東京湾に注いでいましたが、昭和5年(1930年)に洪水対策として赤羽付近から新たに掘削された荒川放水路が完成しています。

そして、その対岸に見える高速道路は首都高速道路中央環状線です。東京ディズニーリゾートにクルマで向かうときに使ったことがある方がいると思います。その首都高中央環状線は単独で計画されたものではありません。首都圏の高速道路の「3環状9放射」として昭和38年(1963年)に計画された道路ネットワークのひとつです。

 

 

 

住宅密集地を巡りながら、商店街が現れるなど徐々に賑やかになっていく通りを抜けると、今回の探険のゴールである北千住駅に到着します。

つくばエクスプレスが乗り入れて、大学もいくつかやってきて、伸び盛りの北千住です。

駅近の喫茶店で、温かいコーヒーを頂きながら心地よい達成感に包まれました。

 

 

今日おかけした曲

・海援隊「新しい人へ」

・中島みゆき「世情」

・城之内ミサ「気まぐれ白書」

・海援隊「贈る言葉」

 

(樽見 潔)

 

2021年2月21日(日)熊谷スポーツ文化公園

今回のしゅっぱつ!すいっと探険隊は、熊谷スポーツ文化公園を探険しました。すいっとのメンバーと3人で巡りました。

 

 

 

私たちは熊谷駅に集合して、路線バスを使わずに歩き始めました。熊谷駅北口から駅前通を抜け、ラグビーロードを歩いて行きます。もともとは、さいたま博通りという名前でした。途中、県立図書館、ハローワークなど公共性の高い施設のあるエリアがありますが、その一角に建築計画があることを示す看板が立っていました。「ああ、ここか」とあることを思い出します。

 

昨年に新聞記事になりましたが、熊谷児童相談所の移転新築のニュースがありました。現在の熊谷児童相談所が老朽化したため、隣の敷地に新築するというニュースです。そして、新しい児童相談所には一時保護所が併設されることになるとも伝えられました。一時保護所とは、虐待のある家庭から保護した子供の、当面の生活の場となる施設です。県北部と秩父地域を管轄する熊谷児童相談所には、これまで一時保護所がありませんでした。家庭からの保護があった場合には、他地域のたとえば上尾市にある中央児童相談所の一時保護施設などを利用していたそうです。しかし、近年、虐待案件が増加していることから、熊谷児童相談所の新築を機に一時保護所の一体整備が計画されることになったそうです。

 

虐待の通報は、3桁の電話番号189番があるそうで虐待を受けている子供を救うために役立てられて欲しいと思います。また、子供に手を上げてしまうことを悩む親御さんのための相談機関でもありますので、児童相談所を役立てて欲しいと思います。

 

さて、ラグビーロードを歩いていると、お菓子屋さんが目に付きます。和菓子店をはじめ洋菓子店、なかにはお団子屋さんなど。食べ歩きには楽しい通りかもしれません。熊谷バイパスを横断した先にも洋菓子店がありました。

 

 

手作りチーズケーキのお店COTS。開店してから今年で22年になるそうです。コロナ禍の折り、今はテイクアウト販売のみの営業。チーズケーキは種類が豊富で冷凍販売されています。おうちに着く頃に食べ頃になっているそうです。私も一つ購入しました。 

 

熊谷駅から歩くこと4㎞弱で、熊谷スポーツ文化公園に到着。

熊谷スポーツ公園は、当初、北武蔵公園として都市計画決定されました。開園前には1988年(昭和63年)さいたま博覧会が開かれました。リニアモーターカーや数々のパビリオンが開設され楽しむことができました。私は6回も行きましたよ。そして、そのさいたま博覧会にあわせて秩父鉄道ではSLが走り始めました。

1991年(平成3年)にラグビー場を中心に、ソフトボール場、散策路が開設。また、2003年(平成15年)には、翌年2004年に開催される第59回国民体育大会のメイン会場となる陸上競技場や彩の国くまがやドームが開設されました。

公園の計画面積は99.7㏊で、東京ドーム約21個分になります。いまいちピンと来ませんが。

 

公園には、ジョギングや散歩をする方々、オカリナの練習をする人もいて、皆さん思い思いに過ごしていました。私たちもベンチに座り、先ほど購入したチーズケーキを頂きました。ほどよく柔らかくなっていて、美味しく頂けました。私が頂いたのはメイプル味。ほんのり甘いチーズケーキでした。

 

さて、公園内を見渡すと、建設中の建物がありました。こちらは埼玉県ラグビーフットボール協会が設置する新施設で、管理棟・屋内運動場・宿泊棟の3棟できるそうです。また、熊谷に本拠地を移転するパナソニックワイルドナイツのクラブハウスとしても利用されるとのこと。2021年8月頃の完成を予定しています。

 

 

そして、ラグビー場のAグラウンド。キャップ・ラガーズクラブハウス熊谷がありました。ラグビーショップとしてグッズの購入ができるほか、カフェアンドパブとして、Aグラウンドを眺めながら食事ができます。私たちもグラウンドを間近に感じられる席で食事をしましたが、ここから試合観戦ができたらどんなに興奮するだろうと思いました。

 

ラグビーと言えば、2019年にはこのAグラウンドがラグビーワールドカップの会場の一つとなりました。関係者はもとより、大勢のボランティアの力添えがあり、ワールドカップは大成功に終わりましたが、私も当時熊谷ラグビー合唱団の一員として、試合会場やファンゾーンで、各国の国歌を歌わせて頂きました。そのような形で大会に関わることができ、大変得がたい経験でした。

 

当時、ラグビー場にはたくさんの観客が集まったわけですが、大会ではその観客輸送も注目されました。熊谷駅から4キロ弱離れているため、大がかりなバスのピストン輸送が行われました。そのうち、2019年10月9日の試合終了後には、熊谷スポーツ文化公園から熊谷駅までバスが187便走り、8994人を運んでいます。運び終わるまでにかかった時間は3時間。他にも、籠原駅など他の駅や、行政センターなど市内のパークアンドライド対応の駐車場までもバスは走りましたが。それらバスを利用しない方々は、ラグビーロードを駅まで歩いていました。

 

熊谷スポーツ文化公園のラグビー場Aグラウンドの観客席数は24000席、陸上競技場は15400席。公園には、ほかにも彩の国くまがやドームやソフトボール場など施設があります。そして、公園の駐車場は、常設が1400台分、臨時が1400台分の合わせて2800台分です。今後も、公園アクセスは課題として残っていくでしょう。

 

その公園アクセスをどのように解決していくのか。たとえば観戦チケットをバス送迎付きにするなど、あらかじめ輸送量が確定できるようにして輸送計画を立てると、少しは解決に近づくのかもしれないと思います。しかし、なかなか有効な方法が浮かびません。何より、おのおの観戦に来場して下さい、という方法が交通渋滞やバスに乗りきれないなど最も現場の混乱を招くように思います。

 

すいっとプロジェクトでは抜本的な解決として、公園アクセス鉄道の建設を提案しています。熊谷駅から東武熊谷線の廃線敷を活用して、公園まで鉄道を敷くのです。鉄道は、大量輸送機関と呼ばれることがあります。たとえば10両編成の通勤電車は一度におよそ1500人の人を運ぶことができます。アクセス鉄道を整備することで、熊谷スポーツ文化公園のポテンシャルを最大限に引き出すことができるのではないでしょうか。

 

 

さて、探険の終盤、陸上競技場の南側すぐにある、珈琲工房香澄さんに立ち寄りました。普段の公園の様子を見続けてきたマスターにお話を伺いました。

朝晩は、一生懸命ジョギングしたり歩かれる方が多く見られますが、日中はゆっくり散策したり、わんちゃんを連れた方も多くいると言うことでした。中には遠方から来られる方もいるそうで、公園の来場者のかたがお店に立ち寄ることも良くあるそうです。

そのお話を聞いて、私ははっとさせられました。そうだ、ここは公園なのだと。これまでラグビーの試合や各種の大会が開かれるなど、イベント会場として強く認識していることに気がつきました。ベンチに座って、風を感じ時間を忘れてもいいじゃないか、芝生に寝転んで流れていく雲を見上げていてもいいじゃないか、そんなことを思いました。

 

熊谷スポーツ文化公園は気軽に訪れることができる場所であることを、最後に認識した探険でした。

 

今日おかけした曲

・DIMENSION「ROUND TRIP」

・Tommy Snyder「SUPERHERO」

・Salyu「プラットホーム」

 

(樽見 潔)